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万年筆

万年筆のこと(1) 大井町「フルハルター」のこと

僕の万年筆のこと

僕にとっての万年筆

僕にとっての万年筆は、文字を書く道具でもあり、思い出のシンボルでもあります。

中学、高校時代の授業は、先生の板書を正しくノートに書き写したり、お話しを漏らさず書きとめることが要で、後からなんとか読める程度の字であっても遅れずに書ける事が大切なことでした。そのうえで、できれば美しく。

そんな中で、ちょっと憧れていた女の先生に、「綺麗な字ね」と言われたら、何日間か嬉しくて。そんなかわいい幸せのために、その先生の授業では丁寧にノートを書くように気合をいれたことを思い出します。特別に清書し直したノートを作ったりして。その先生は、いつもとても整った綺麗な字を書く方でした。その幸せの記憶のためか、随分と時が経った今でも丁寧に字を書く女性に、ほんのりと好感を持ちます。

授業でもなんでも、使っていた筆記具はシャープペンシルでした。シャーペン以外の筆記具は、自分には特別の用途に使うものという記憶があります。

それはさておき、今時の大学では、授業はスマホでの撮影、ビデオ撮りはあたりまえだとか。どうやって記憶したり集中したりするのでしょう。考える前に記録、という点では僕の子供の頃の筆記と同じなのかもしれないけれど。

そしてそういう僕も、仕事上の文字での伝達の多くがコンピュータ画面の上で成され、職場で自分の手で字を書くことは会議でのメモや署名、手紙くらいです。

そんなキーボードが主たる文房具の役割になってきている中、署名するという行為は、僕が万年筆へ傾いたドライバーでした。日本版SOX法施行後のこと、紙への直筆署名が求められるようになって、職場で急に署名する機会が増えたのです。社内のイントラ上の電子的承認に加えて、プリントアウトした紙にもサインがいると。この手書きの署名の部分だけ後戻りしたことを思い出しました。

万年筆が欲しい!

はじめて部下を持つことになって受けた研修で、部署の責任者として、おそらく何十年間も社内に残る書類に署名する作業が加わったことを知った時、そして社外の方との合意書類や契約書にも自筆の署名が必要で、その自分の署名が、どこにあるのかも知らないキャビネットや倉庫の中に、いつまでかも知らない期間、保管されることに気がついた時、自分には絶対、万年筆が必要だと思いました。

自分の決断を自分に覚悟させる手順が、当時の僕には必要だったのですが、それにはボールペンではなく、万年筆での署名だったのです。

その頃、僕と同じように仕事でキーボードを打つことに疲れた人が増えていたのかもしれません。自宅で、ISDNだったかすでにADSLになっていたか、インターネットへ繋がるコードをつないだPCで検索すると、万年筆についての記事やブログがみつかるようになりました。その中で、僕が圧倒的に引き込まれたページが「FULLHALTER フルハルター」店主の森山信彦さんのものでした。

大井町の「FULLHALTERフルハルター」で

「FULLHALTER フルハルター」はその当時、東京の大井町にありました。お店のホームページでも、またいくつかの、お店を訪問した方のブログでも説明されていたように、客はお店を訪れて森山さんと(森山さんとだけ)相談しながら、椅子に座った状態、つまりはこれから万年筆を使っていくであろう通常の姿勢で購入するタイプの万年筆でいくつか文字を書くのです。森山さんはその様子を観察し、万年筆をその人に合ったペン先に調整・研磨して販売してくれることを知りました。

そのホームページの中にあった万年筆についての情報は驚くべき深さで、毎日読み返して、そして、「なんとしても万年筆はフルハルターで手に入れたい!」という欲求を抑えられなくなりました。自分で自分用に手に入れる万年筆は、必ず「ぬらぬら」と書けるものでなくてはいけないと決心したのです。

フルハルターのホームページでは、「(現在)ほぼペリカンスーベレーンしか販売していない」と書いあり、その理由としてペリカン・スーベレーンのバランスの良さが挙げられていました。

唐突ですが、ペリカン日本社はスーベレーン・シリーズを値下げしたこともあるようなのです。(フルハルター・ブログ “心温まるモノ2014年8月29日の記事”よりhttps://fullhalter.exblog.jp/24553392/)

日本が20年以上のデフレの間に、世界では経済発展に伴い健全な物価上昇が続いて、グローバルでおよそ共通な価値を持つであろうペリカン万年筆も、継続的に値上がりしています(下に参照数値)。

特に2020年からのCOVID-19とその後の世界的インフレ、2022年からの急な円安(€=¥130→¥160)、加えてペン先素材の金の価格上昇(2020年 ¥6,122 → 2024年12月¥14,000)と、ペリカン製品の価格が上昇する要因ばかりが揃っています(2024年12月現在)。このブログをはじめて書いた頃、2015年11月のM800税抜値段は55,000円で、2024年12月では同じく税抜でついに90,000円!3年連続で値上がりし、この9年間では約64%上昇。M800の価格はもうすぐ10万円代となるトレンドです。ちょっと、「思わず購入」とはなりにくい値段になってきました。ここからのブログは、まだ価格がぐんぐん上昇する前の話です。

(2024年12月価格改定:M1000は12,1000円、M800/805は99,000円(税込))

(2023年12月価格改定:M1000は104,500円、M800/805は85,800円(税込))

(2022年12月価格改定:M1000は  93,500円、M800/805は74,800円(税込))

(2021年10月価格改定:M1000は  85,800円、M800/805は66,000円(税込))

(2021年1月価格改定:M800/805は63,800円(税込))

(2015年11月価格改定:M1000は  81,000円、M800/805は59,400円(税8%込))

逡巡

お店を訪ねるという行動まで、僕は半年ほど逡巡しました。

逡巡の理由は今はもう思い出せません。

安売店や通販では2割ほどは安い値段で“同じ”ものが手に入ることをインターネットで知ったからかもしれません。5万円+という本体価格(当時)はもちろん、そこからの割引の1~2割も小さい金額ではありません。サラリーマンである自分の小遣の額は決まっていました。(2024年末、10万円にもなろうとしていると、尚更でしょう)

知らないものへの「なんとなく」の不安は思い出します。自分が焦がれて、でも思っていたほどではなかったどうしよう、思い入れが強い時にあるように最初だけの熱で、すぐに飽きてしまったらどうしよう。万年筆の世界がとても広くて深いことを知りはじめ、いったん没頭したらそこから出てくるのが難しいという自分の性格への心配も漠然とありました。今や、欲しかった万年筆をすでに手にして、熱い欲求は鎮静化したし、あるいは人生経験と常識が身についてきて、どんなに欲しいものがあっても、待ったり、あきらめたりで、どうにか心穏やかに(ちょっとイライラするけれど)できるようになりましたが。。。。新製品をできるだけ見ない、触れないようにするという対処法を学びましたね。少し年月が経ち、自分の好みをわかって選ぶことができるようになってきて、大丈夫にもなってきました。経験は大事です。

さて、その逡巡の間、デパートや文具専門店で万年筆のショーウインドーを睨んでいると、「気になるものがございましたらお出ししますよ。」と、声をかけてもらえるのは助かりました。当時、いくらか街でもみかけるようになったバリスティックナイロン仕様のTUMIのショルダーバックにスーツ姿の僕は、万年筆を買いそうな客として見てもらえていたのでしょう。初期のTUMIのPC用ショルダーバッグは、中に潜水服(SCUBAウェットスーツ)素材で作ったのかな?と思うような、バッグを床に落としてもPCが床を直撃しなように包み込むハンモック構造が二重になっていて画期的でした。アメリカのどこかの空港で、仕事のできそうなビジネスマンが持っていて、とても良さそうと妻が勧めてくれて。どうにか見つけて(しかし、日本ではとても高かった!)、大変気に入って使いはじめました。その後の数年で、日本のサラリーマンの標準品かのようによく見るようになり、特に空港の手荷物検査では同じショルダーバッグがいくつも並んで間違いそうになったことが懐かしいです。今ではTUMIも大手メーカーの傘下に入り、おしゃれなブランドとして色彩豊かなラインナップになってきています。

さて、万年筆の話にもどって。

正直に言うと、デパートには縁が薄く、それまでは時間つぶしにぶらぶらしているだけのことが多かった(今もですが)ので、万年筆のこと以外で店員さんに声などかけられたら落ち着かなくて逃げ出してしまっていたのです。しかしあの時期は、本物に触れる機会をもらえてありがたくて。「では、これと、それと、あれと」と、できるだけショーケースから出してもらって実際に持たせてもらい、さらに、ペン先にインクを付けたデモ用のペンがある時は試し書きもさせてもらって。試し書きに自分の名前を書くのは恥ずかしいので、どのインターネットサイトで見たのか忘れましたが、“試し書きに良い字”という「裁」の文をたくさん書いたりして。

バランスや姿がしっくりきたのは、ペリカンスーベレーンM800でした。キャップをペンの後ろにつけて書いても、はずしたまま書いても、どちらのバランスも僕にはちょうどよい感じがして。M1000は、当時は特に、また今でも、僕の筆圧ではペン先が柔らかすぎると感じました。確信として、M800が僕にはベストと。

そしてペリカンに気持ちが寄って行ったのは、なんとしても、自分の万年筆はフルハルターでお願いするという決意からでした。そして、インターネットの情報でM800が広く高い評価を得ていたことも後押ししてくれました。”M800が“一番好きだ”という自分の感覚、気持ちを信じて、それに素直に従いました。ニブポイント(ペン先の太さ)の研ぎ出し調整はMでお願いしようと決めました。Bだと太すぎて日常では使えないのではと心配で、また逆に細めのFだと、せっかくフルハルターでお願いするのに研磨調整の良さを十分味わえないのではと心配で…….。それは結局、その頃は、その一本で、万年筆に関することの全てをまかなうものと思っていたのだと。今は、それは実は難しいことだとわかるのですが。

最初で最後の一本!、、、?

「最初で最後の一本!」と思っていたのです。慎重にならざるを得ませんね。

思いつく限りの理由をつけて、「自分にぴったり合う、一生の記念になる万年筆なのだから、僕は、もう、今日、これから、堂々と、絶対、きっと、必ず、なんと言われようと、買う!」と、大井町へ、「フルハルター」へ、森山さんを訪ねたのは、もうこのブログを書き始めた頃から15年くらい前の事(2003年頃)になりました。思い出すと恥ずかしくて笑みが浮かぶほど、緊張して訪ねました。

なぜだったのだろう? でも、ああいう緊張感はいいな。もう滅多にそういう緊張感はないなあ。

お店の扉をゆっくり丁寧に開けて、来店理由を告げました。ホームページから想像していたよりすこし小さいテーブルを挟んで、森山さんと一対一で対面しました。緊張でとびとびにしか覚えていない何かを話しながら、示された万年筆で、滑りの良い用紙に名前と住所を書いて購入の申し込みをしました。名前と住所を書く間に、僕の手と万年筆の角度、ペン先と紙が接する部位や角度、筆圧などが観察され、記録され(データがどのようなものかわかりませんが、森山さんは、てのひらに入るサイズのお手元の紙に、何かメモをされていたように見えました)、それらの記録から僕にとって(おそらく僕にとってだけ)ちょうど良いペン先に調整、研磨されるのです。

出来上がりは余裕を持って3ヶ月後と。でも、もう少し早くできるかもしれませんがとも言われて、ワクワク感と、ついに注文を終わったずっしり感と、両方の気持ちで帰りました。

待ち遠しい時間でしたが、ちょうど仕事が忙しい時期で、さすがに万年筆のことを思って仕事が手につかないということはありませんでした。昼間は万年筆ことなど忘れるほど忙しかったのと、なにせまだ使ったことが「無い」ので、手元に自分のための一本が「無い」ことの苦しさはありません。知らないことは、一面、有難い。今はもう、その調整された万年筆は完全に生活の一部なので、「無い」ことには、もう耐えられないでしょう。それは他に例えるなら、使い慣れたお気に入りの革靴、シャツ、時計、車、、、、、。あるいはいくつかの馴染みの店での食事も。

そういう意味で、よいものを「知ってしまう」ことはつらいことかもしれません。

知らなければ、それらが「無い」時の苦しさも知らないので。インターネット時代なので、ほんのりと憧れたり、恋い焦がれたりする物や事について、画像、動画を含めた大量の情報が発信されています。目に触れないようにするのも簡単ではありません。見てしまって、恋焦がれてしまうと、気持ちを止めるのが昔よりずっと難しいのではないかと思えます。

「人生は短い」、、、、思っていたよりもずっと。だから、手を伸ばして触れることができる夢やのぞみならば、十分触れて理解して満足して、人生を行くようにしてみるのもひとつかと。修業で消せる煩悩かもしれなくても、実際に手にして、使って、そして消せる煩悩ならばそれまでの事と考えるのも一つかと。

いよいよ受け取り

2ヶ月弱の後、用意ができたとの連絡がありました。予定よりひと月あまり早い仕上がりです。

知ったのは、森山さんからの電話を受けた職場の仲間が残してくれたメモで、「xx月xx日xx時xx分  古春田様から電話。「用意できました」とのこと」。

うん?古春田? なるほどね。古フル春ハル田ター か。

まあ、予備知識無しで”フルハルター”と聞いたら、ドイツ語の万年筆を意味する単語を思い浮かべる人は無いでしょう。その、オシャレにも思える古春田という漢字が当てられたメモにしばし一人ウケて。そしてメモを残してくれた仲間にお礼を言って。

そのメモを読んのは、長い会議から席に戻った時で、もうフルハルターは閉店している時間でした。翌日電話をして、早く作ってくださったことへのお礼と、取りに伺えそうな日程をお伝えしました。すぐにもお店に行きたい気持ちでしたが、最初の受け取りの際には是非とも使い方や注意事項を伺い、そして何かの”秘密”を得ることができないかという期待、そのための時間の余裕を閉店までの時間にもって、お店にたどりつくことは、平日の仕事の後では無理でした。さらに電話をいただいた週末は他の用が入っていたので、受け取れたのは翌週の週末でした。ところで、なぜか職場の番号をお伝えしていたのだと、今、改めて思いました。家人に気がねがあったのかもしれません。もう、理由は忘れました。

使い始めと、それから、、、

受け取る時、どのインクを使うかを聞かれ、そのインクを使っての初回インク吸入が森山さんのデモンストレーションで成されました。いくつか注意事項を伺い、そしてお店ではじめてその万年筆で文字を書いた時の、紙の上を動くペン先の「ぬらぬら」感が忘れられません。自分のために調整された一本がこれなのだ!

森山さんから、毎日使うのが万年筆にとって一番良いのだということ、インクは同じものを使うのが良いこと、何か問題が生じたら遠慮なく持ってきてと、優しくおっしゃってくださった事でとても安心しました。他にも注意かアドバイスをいただいた気もするのですが、それらが上の空になるような静かな興奮を伴って帰宅しました。

家人の前では平静を装って夕食、入浴、明日の準備をしたあとの深夜、手順書を横において(純ですね)、丁寧に、慎重に、はじめてのインク吸引の儀式を行いました。なんと嬉しい作業。

ちなみに、森山さんのデモンストレーション通りを心がけてインクの吸入をしているためか、最初の吸入を含めて、僕はインクで手を汚すということは、まずありません。例外はインク瓶の蓋の内側に張り付いている、瓶の口と接する白いプラスチックコーティングのキャップが蓋の中心軸から外れてずれた時に、あわててそれを素手で直してしまう時くらいです。

つまり、その日から、僕の最高に気持ち良い万年筆ライフが始まり!  ました。

このフレーズは完全に正しいのです。が、「最初で最後の一本」というわけにはいかないことをすぐ知ることになります。

万年筆ライフは単純ではないと知ることになります。

続きは次回。