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万年筆

万年筆のこと(4) 神保町「金ペン堂」

道具としての万年筆 神保町「金ペン堂」で

「金ペン堂」を訪ねました

神保町にある万年筆専門店の「金ペン堂」に興味があって訪ねました。(「金ペン堂」http://www.kinpendo.co.jp/wp/

はじめての「金ペン堂」は、店内天井近くまでのショーケースにびっしりと万年筆が並べられた店構えが印象的でした。昔からある、「街の万年筆屋さん」、という印象でした。

「街の万年筆屋さん」?そんなに単純じゃないし、そんな万年筆屋さんを街で見たことは無い!

主に万年筆だけ扱って店が成立することも不思議に思えました。

1920年創業とのことなので、100年の歴史。僕の最初の訪問時でもすでに90年ほどの歴史があるお店であることを知りました。

この100年間にも、文字を書く、文章を作る、読むといった、古代近代現代で不変のことと思っていた知性の基本作業に、とても大きな変化が生じたと理解しています。

読むこと と 書くこと

なぜそんな、感覚からでた僕の感想をここに書くかというと、「金ペン堂」がある場所についての思いからです。

かつて(今も?)神田神保町は世界有数の古本街として有名で、僕が中学生の頃はまだ、端が見えないほどの長さで、古本屋がびっしり通りを埋めていました。新書についても、三省堂書店の本店は神保町店です。靖国通りを挟んだその三省堂書店本店の向かいに「金ペン堂」はあるのです。読み手、書き手のソースとしては、いくつもの大きな大学がこの地域にあり、学士会館もあります。

僕にとっての神保町、神田、駿河台下は、一帯として知性と知識、文字と文章、書物の中心だからです。

学生数が増加する時期に、いくつかの大学はメインの校舎を郊外に移したりする変化の中で、神田神保町の街の意味は変わってきたのかと。

また、昭和から平成に移る間、バブル経済の後押しもあってか大学生は本を読むこと以外に楽しく時間を過ごすことができるようになりました。一人暮らし、ギター、テニス、スキー、海、ウオークマン、車でドライブ。仕送りに加え、それら楽しみのためのアルバイト。この20年は携帯電話、パソコン、スマホ、ゲーム、動画サイト。そのためのさらなるアルバイト。近頃は本の購入にまわせるお金が無いのはよくわかります。

何かで知った話で、にわかには信じられませんでしたが、2018年のある点で大学生の1日の平均「読書時間」が24分。1日の読書時間ゼロと回答した大学生が53%で、昨年より4%上昇と。ということは、「読書」は大学生にとっては特別なことになってきているということなのでしょう。あるいはこの数字は「紙面」を読む時間で、スマートフォン、PCの上ではもっとずっと長い時間、ひょっとすると昔の学生が文字を読んでいた時間よりずっと長く、「文字」は読んでいるのかもしれませんが。しかし、本を読まないとなると、縦書きの日本語を読んでいる人、読んでいる時間はとても少なくなってきているのだと認識しました。最も自由に時間を使えるはずの、そして最も読書をするべき時期の大学生にとって、読書が”贅沢な時間”となっているとすると、それは大問題と思うのです。他に知性の素を吸収していく方法があるといいのですが、歴史が証明してきた「読書の力」を超える方法があるのかどうか。

読書は子供の頃からの習慣とすべき大切な事と思うのです。しかし現実は、都会やその近郊では中学入試が大変で、したがって小学校時代にしっかりした本を時間とエネルギーをかけて読むといった余裕は無いのでしょうね。実際、東京を中心としたメトロポリタン・エリアの人口が日本の人口の4分の1を占めるわけですから、「東京」の子供は特別の存在ではなく、日本の代表でもあるわけでしょう。そこで中学受験のための勉強に入ってしまった子供たちは、漫画を読む時間もゲームをする時間も犠牲にするくらいだから、苦労しないとできない読書、本を読む能力をつける時間の優先度は低くなるのは当然なのでしょうけれど。歩きながら真剣に本を読んでいる小学生をみると、頑張れよと思ってしまいます。

しかし、子供の頃に読書をしないということは、大人になってからピアノ、バイオリン、テニスをはじめるようなものと思えて。大人になってからはじめても上手なプレーヤー、演奏者になるためには才能が必要になります。しかし、一部の才能がある大人だけが読書できる人たちとなるのは大問題です。あるいは可能性として百歩譲って、昔からよく読書する学生の数は限られていて、今もおよそ同じくらしかいないけれど、分母となる大学生数が増えて、統計では読書量が少なくなってみえるのか。

(これを書いてから数年後の今、2022年、僕は大学生や卒後1ー2年の人たちと話す機会が定期的に発生するようになりました。そして、日本語を読んで理解できる人と読めない!人が二極化していることを実感して、愕然としています。ちょっと怖いです。読めばわかるはずのことが、異なる意味に伝わっていることを知ったのです。恐ろしいです。)

原因はどうあれ、大学生の読書時間減少の傾向が続くと、若者世代は本格的日本語は言うまでもなく、簡単な日本語もうまう読めなくなっていくのではと恐れます。さらには、同じ言葉を使っているような誤解が、違う意味を伝達して世代間の誤解を深めていってしまうとか。社会の中で、伝えたいことが文章で伝わらなくなっていくとすると、次はどうなってしまうのだうろう。

少し前に職場の仲間が言っていた、「日本語の読み書きが、履歴書の特技欄に書く項目の一つになる」という冗談が現実になってしまわないように祈っています。そういえば、近頃、僕の話がうまくわかってもらえていないのでは、と心配になるケースが増えてきたような、、、、。

そして、読めないとすると、書くことはもっとずっとハードルが高い。

万年筆で書くこと

手で筆記具を使って紙に文字を書いて文章を作り、事実あるいは自分や他人の思いを書き表し、共有し、残すという、僕にとっては基本で不変と思っていた情報、感情や概念の伝達作業が、これまでの方法から変化して発展しているのか、あるいは減退しているのか。

文字は紙に、手で筆記具を使って書くというのが、僕の中では”標準”としてありました。特に文章の専門家である作家はそうだろうという固定観念のようなものが。しかし、作家のエッセーをインターネット上のブログで読めるようになると、その僕の思い込みが間違いであるように思えてきています。

今、職業で文章を作る人で筆記具や紙を使う人は少数派で、パソコンのワープロソフトを使う人の方が多数派なのではないかと。原稿として、一旦は紙にプリントアウトする人はまだいらっしゃるのかもしれませんが、それは印刷原稿も同じであって。確かに作品を電子ファイルでやりとりすれば、原稿のやりとりは完了します。文章を作り、修正したり、その際のコピーペーストも瞬時。クラウドにも入れて、どこでも執筆(?)作業ができるのも、プロの作家には望ましいことなのでしょう。原稿用紙も筆記具もいらないのも、フィジカル上も作業を楽にする要素でしょうから。パソコンの方がずっと”便利”なのではと。

便利さと言う点ではコンピューターが全くの勝者で、慣れれば筆記具で紙に書くより、キーボードで入力する方が何倍も速く文章を作り、残すこともできます。文章を作り、送り出すという目的のためには、キーボード入力によるワープロ・ソフトに、手書きは勝てるところがないように思えます。

一方、僕は、紙の上に書いてある文字を読むこと、紙の上に文字を書くということから日本語の文章を作ることを学びました。そうして学んだ結果の自分が今在ると、キーボード入力で文章を作ることは、筆記具で紙に書くこによってできる結果とは違う結果を、脳内の神経回路に蓄積していくのではないかと思うことがあります。

それを考察した研究結果は発表されていないでしょうか。興味あります。

手で筆記具を使って紙の上に文字を書くことから学んだ経験があるから、キーボード入力でPC画面で文章を確認しても、僕の中で「書く」作業と対応させて理解できているのではないかと思ったりして。

そんなことは、文章を点字を介して触覚で捉えたり、人生のはじめから機械入力で文章を作ってきた方達からすれば、僕の思い違いだよと言われるかもしれないけれど。

僕の「金ペン堂」の印象

100年の歴史といくつもの逸話が重ねられたお店、「金ペン堂」訪問の話にもどります。

その伝説的伝統を知っている万年筆好きは、お店の中に吸い込まれる強い引力を感じることでしょう。

僕はそうでした。そしてあいかわらず僕は、「金ペン堂」に緊張して入店しました。

壁一面のショーケースに凄そうな万年筆が並んでいて、さらに緊張してしまいました。ひょっとしたら万年筆以外にも、ボールペンなどの筆記具も置かれていたのかもしれないのですが、確認する余裕もありませんでした。緊張していたからですね。

僕は、デパートや文具店の万年筆コーナーと違う印象を「金ペン堂」に持ちました。うまく表現できていないことは自覚のうえで文字にすると、それは、「金ペン堂」に置かれている万年筆は、デパートや文具店のショーケースにある万年筆より、文字を書くという役目に徹したものであるという印象。いかに華麗な万年筆であっても、しっかり働くことを決意し、そのために準備万端整った道具、というものです。

この表現は、何回か訪問した後に、「この感じは何だろう?」と訝(いぶか)しく思っていた気持ちを、ある晩、日記に書き留めてあったものです。店の展示に装飾要素が少ないことも手伝って、万年筆自体の能力が剥き身で置かれているといった印象なのです。

ブログの中の「金ペン堂」

いくつものブログが説明してくれているのですが、ご店主が一本一本ペン先を調整し、組み直してから店に出していると。また古くから(100年前からということでしょう)、有名な作家の方々が万年筆の調整で頼りにしてきたと。

中には、ご本人が書かれていることとして、職業として大量の原稿を書く必要が生じた時、力を入れずに書ける筆記具が良いことに気がつき、つまり万年筆が良いということで金ペン堂を訪ねたと。その時のご店主である古矢さんは、どんな字を書くのか見せてもらえると選びやすいと言い、まだ二十代だったその作家の字をほんのちらっと見て、「その字ならばこれです」と言って選んでくれたと。

そして、その二十代だった片岡義男さんは、その勧められたモンブラン22を10年間で30本も書きつぶすペースで使い、一時期は50本も机の中にあったと。

軽く力を入れずに書いていってもペン先を減らすほどの書く量とは、いったいどんなものなのか。拾いあげたインターネットの情報から、片岡さんが一年間に書いた原稿用紙の上の字は500万字以上と計算しましたが、200字詰なら2万5000枚の原稿用紙。その量を実感することは難しいです。

そういえば、林真理子さんの講演を聞いた際、ただ文章を書く人と、作家を職業にする人の「書き続ける量(近頃はワープロで書くことも含めて)」の圧倒的差という意味の話を伺ったことを思い出します。

さらに片岡義男さんは30代になって自分の字体と字の大きさを変えようと相談した際、古矢さんは今度もちらっとその新しい字の原稿をみて、“ペリカンの普及品、ただしその時(1970年代?)すでに生産停止となっていた750と刻印のあるペン先”を勧めてくれたと。(”片岡義男.com ” 「万年筆についての文章」よりhttps://kataokayoshio.com/essay/161112_fountain_pen2

書いた字をちらっと見るだけで、想像できないほど大量に書く作家が10年以上も満足して使い続ける万年筆を選んで勧められるという。そんなすごい万年筆専門家へ、なんと形容してよいか言葉が見つけられない憧れ、畏敬の念、尊敬の念を持たずにいられません。

200字の原稿用紙5万枚を2年ほどで使い切るペースで書くのが作家なのかと、改めて、片岡義男さんのブログをwebで読んで、少しでも作家になることを夢見た自分が可笑しくなりました。

神保町「金ペン堂」での最初の一本

店の奥の様子は少し見えます。おそらくそのスペースでペン先(あるいはそれ以外の部分も?)の調整が行われているのでしょう。しかし、いくつかのブログによると、先代のご店主は腰痛がひどくなり、お店には出られなくなったと。今、お店でみてくれているのは息子さんとのことです。

私が最初に訪れた時は、「何かお探しですか?」とか、「贈り物ですか?」だったか、先代の奥様なのだろうかなと思われる様子のご婦人に、何か声をかけられたように思うのですが、もう思い出せません。なにせ緊張していたので。

同様に、そのはじめての時にご店主と接した記憶も無いのですが、自分の目が一点に焦点があって視野が狭くなっていたことは覚えています。

なぜだろう?あの時の自分が不思議です。

「この赤いのをいただきたいのです。」と、お願いしたことを覚えています。

その“赤い”のは、ペリカン・スーベレーンM800のボルドーです。

ペン先は、細い罫のノートに小さい字を書くためにFをお願いしました。インクのことを聞かれたように思うのですが、それもはっきり覚えていません。

不思議です。緊張というのは、人の能力をよほど低くしてしまうのだと認識させられる自分の例です。

「金ペン堂」も、販売価格は定価。「フルハルター」との違いは、その日にそこから持って帰れることと、なんと! クレジットカードが使えること。

すぐに欲しい人や、どうしても今日から必要な人には有難いことですが、一方、とてつもなく”危険”であることは、ご想像の通りです。特に、“惹きつけられる”と視野が狭くなってしまう特性の万年筆好きの人は、要注意です。

魅力の引力で惹きつけられて、衝動的に手に入れてしまったボルドーM800に、特別の縁を感じずにはいられません。そしても今も、毎日のようによく働く一本として手元にあります。ボルドーのM800は2013年10月に生産中止になりました。(2022年3月、レギュラー製品として復活との報をよみました。レッドストライプと呼ばれるようですが。僕はこの色、好きなので復活歓迎です。ただ、「僕のは前のモデルなんだよなあ。」と自慢したい気持ちもあるのですが、、、、。)

当時の僕は万年筆ライフをはじめたばかりで、できるだけたくさん使いたくてたまりませんでした。15年以上たった今でも、お気に入りの万年筆を持つと気持ちが高ぶります。そして、有難い出会いに感謝しています。

なので、当然のように”その後”、があります。

次回は「金ペン堂」での2本目のこと。