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万年筆

万年筆のこと(6) 「金ペン堂」での2本目

万年筆のこと(6)「金ペン堂」での2本目

「金ペン堂」での2本目 なぜ、黒のM800

「金ペン堂」ではクレジットカードが使えることを書きました。

クレジットカードは、欲しいものがあるけれど持ち合わせがない時、とても助かります。金利のかからない使い方ならば、原則として現金払いと同額の支払いの期限を、引き落としまでの1―2ヶ月間の時間がかせげるため、資金を調達するまでの“時間をスキップ”できる手法です。しかし、緊張する手法でもあります。1-2ヶ月先に、かならず、その金額を得られることがわかっている時でないと、ドキドキしますね。まあ実際、M800の金額であれば、我々の年齢ではおよそ金額自体にドキドキすることは無いのですが、家庭を持つ身は、異なる面でドキドキが発生するのです。

でも、動きは止まりませんでした。

ペリカン・スーベレーンで胴軸が縞柄ではない黒一色のM800に吸い寄せられて。

タイミング的に、僕の誕生日に合わせた買い物として説明することにして、なんとかその後の家庭内での虚々実々のやり取りを収めました。収めるための内容は、多くの他の家庭と同じか、あるいは異なっていても想像の範囲内でしょうから割愛します。

昔から、“万年筆”、に対してもつ僕のイメージは、“黒”、でした。

なぜか?

モンブラン万年筆の黒色が強く印象に残っていたからのように思います。

父の万年筆が古いモンブランで。

父が家で使う万年筆は、そのモンブラン1本だったように思います。そしてその1本のモンブランを大切に使っていたことはよくわかりました。

僕が、自分の万年筆をフェルトが貼られたトレーに置いて保管するのも、父が自分のモンブランをフェルト貼りのデスクトレーに置いてあったことを記憶の底で覚えていたからかもしれません。

今、この文章を書きながら、それを映像として思い出しました。あるいは、父が机に向かって万年筆を使っている写真が、実際に見た姿と交錯しているのかも。

父からの手紙を書いたモンブラン

手紙の内容と字体に加えて、印象に残っているのは父の使っていたモンブランのインクのことです。

成人してから帰省した時には、家族で食卓を囲んで、そしてその後には父と2人で呑みました。すこしはしゃべりましたが、父は僕の話を聞いているだけという記憶です。日頃は電話でも話す役目は母で、父からの伝言を母経由で聞かされました。しかし、どれが本当に父からの伝言だったのか。母の言いたいことを父からだと言って伝えていたのか、もうよくわかりませんが。

父からの手紙もごくわずかで、手元に残ったものは2通だけです。それらは、丁寧で、しかしペンの運びは勢いがあって、長く社会で揉まれた大人の格が現れている文字と文章で、心のこもったものでした。

気づくと、僕は父がこの手紙を書いてくれたのと同じくらいの歳になっています。今の僕にはとてもこのような文字も文章も書けません。本当に、全く、届いていないことがわかります。その自分の気持ちが、僕を万年筆に向かわせる力のひとつなのでしょう。

そのうちの一通は、ついぞ言葉ではもらったことが無い父からの激励が、とても静かな言葉選びで短く、しかし必要十分に書かれていて、それゆえに、僕の甘い中身への叱責が隠れていたように思えて。あの日、封を切って読んだ時に、僕は背を丸めて震えながら泣いたことを覚えています。僕は当時も今も、仕事や自分自身に揺すられて、毎日、ただ溺れないように過ごすのが精一杯。何度かの転勤に伴う引越しもあり、父からの手紙は「大事なもの」と大きく書いた箱の中に入れたが故に、荷物の奥に入り込んでしまい、次に読み返したのは10年ほど経ってからでした。

深い紺色か黒であったはずのインクの色が変化をはじめていて、黒と茶錆色の中間のような色に変わっていました。時間が経ったことが証拠として示されています。今も冷静には読めないその手紙は、父からのメッセージの大事な芯だけが、時間を経るに従ってさらに深く刻まれて現れてくるような、不思議な感覚を与えるのです。

では、なぜ僕はモンブランの万年筆で書きたいと思わないのか?

一つは父へのささやかな抵抗。メルセデスではなくBMWを選ぶとか、万年筆もペリカンで緑の縞模様を選んだり。

あるいは、“今”のペンとインクの“嗜好”。

この、“今”のペンとインクの“嗜好”については、いずれまた。

それでも、父が僕へ心をこめて、自分の愛用の万年筆とインクで、愛用の便箋に書いてくれていた時の様子、それは多分、夜遅く、実家のあの部屋のあの机で、あの万年筆で書いてくれたのだと、その映像が記憶の中から再生されます。それで次の万年筆は、メーカーは違うペリカンのM800でも、黒が欲しくなったと思えます。

いよいよ「金ペン堂」での2本目

さすがに2回目となると少し余裕が出てきていました。それでその時は、ご店主と会話をしたことをはっきり覚えています。ただし、会話と呼べるかどうか微妙ですが。

ペリカン・スーベレーンM800の黒、用途は細い罫のメモノートや日記に、日本語を書くこと、そのためペン先はFをいただきたいこと、インクはBlue Blackを使うことを伝えました。在庫の有無を確認しなくてはいけない素振りもなく、スムーズに奥から黒のM800がやってきました。この僕の要望を聞いてくれた方と、奥からその万年筆を持って出て来たのがご店主だったのか、あるいは今回も対応くださった先代の奥様(と思しき方)か、それは覚えていません。はっきり覚えているのはこの後の“会話”。

すでに自分の万年筆となった、そして使い方にも慣れてきたM800、キャップを軸尻に差して、腹の高さのショーケースの上で余裕をもって試し書きをはじめた時、はじめて感じる“ひっかかる”、あるいは“カリカリッ、ガリッ”という感じがペン先にありました。試し書きのための用紙は、ペン先がすべりやすい滑らかなメモ用紙だったので、その“ひっかかる”、あるいは“カリカリッ、ガリッ”という感じが意外でした。そしてそれは僕の顔色に出たか、あるいは「エッ?」っと、声に出してしまったかどうか。

瞬時に、僕より若いであろうご店主は、「あ、その書き方だとひっかかります。ちょっと直しましょう。」と。このご店主の言葉は、僕の記憶に残っているあらすじのようなものなので、実際の言葉遣いは違うと思います。もっと柔らかだったようにも思いますし、全く違う単語だったかもしれません。

いずれにしても言葉の意味は、“僕がペンを使う角度と、調整済みのそのペン先とは、合っていない”ということ。僕の万年筆を使う角度は“普通”とは違うことを意味していたのですね。

すぐに、奥の部屋で調整してくれると。

何がどう修正調整されたかは分かりませんし、言葉で素人に説明できるような簡単なものではない方が有難い。僕はすでに随分と大人になっていたので、「こういうことは専門家に任せるのが一番で、それを信じて頼ってこのお店に伺っているのだ」という気持ちでした。安心感はインターネットにある記事などからも得られていましたが、何より「金ペン堂」でいただいた1本目のM800ボルドー(メーカーカタログではBlack/Redという記載になります)への満足感からきていました。

ほんの1分、あるいはもう少しかかったでしょうか。それくらいの短い時間。

修正後の黒のM800Fは、先程のひっかかりやざらつき感がすっかり無くなり、スムーズに、思ったとおりの線をひくことができました。大小の丸も、左右かわらず書けて、まったく別物となっていました。

「ああ、まったく違いますね。とてもいいです。」と、見えない感嘆符がいくつかついた満足と感謝を伝えて、“クレジットカード”で支払いをして帰りました。

家に帰って、4本目のM800を書卓で持ってみました。まだひとつも傷のない黒のM800はとても綺麗に読書灯の光を反射させていました。

キャップを軸尻側に差して(こうすると胴軸に擦り傷がつくのだろうか?キャップを軸尻側に差すのを嫌う人に、嫌う理由を伺ってみたいのですが。)、「今日、思い切って、金ペン堂で黒の(solid black)M800を買ってきた。この字はそれで書いている。」という書き込みが日記にあります。

嬉しそうな字です。

しかし、ごく短い時間でなされた私の書き癖の観察と、ごく短い時間の一回の“調整”で、使い心地がこれほど違ってきたのには驚きました。万年筆の奥深さをもう一つ体験した日でもありました。

そして同時に、その“調整”の世界に凄んでいる方々がいることも、インターネットのブログで知るようになったきっかけの日でもあります。その世界がとてつもなく深そうなので、自分は決っして足を踏み入れないと、自分に警告を出した日でもありました。

このデジタル時代に、書くことだけではなく調整まで専門家の目と指先とでなされる、さらにそれが完全にアナログで。

万年筆のこのアナログの深さが、魅力の一面であることは間違いないでしょう。

5本目、6本目のことや、万年筆メーカーのことなどを次回。