5本目を「フルハルター」で、再び
5本目のM800を「フルハルター」でお願いする
「金ペン堂」で2本購入してから、次に、太さBのペン先のペリカン万年筆スーベレーンM800を「フルハルター」にお願いするまでに1年間ほど時間があきました。
仕事でタフなプロジェクトを受け持たせてもらえて、特別に忙しくなったこと。そして、あるいは、だから(after 5 コミュニケーションが増えて)、このペースで万年筆を手にいれる資金繰りが難しかったこと。また、このペースで欲しいものを手に入れていくことは、今は避けるべき贅沢だという心の声が、ブレーキをかけました。
もう一つ、5本目を待つ理由として、これまでに求めた万年筆を自分が十分使いこなせているかどうかへの自問。今もっている他のメーカーの万年筆でも十分、「書く」という目的を自分のレベルでは果たせるのではないか、他の使いたいインクの価値、、、ーキリがないのではーという自問への自答。
手紙を書くのも、ペン先Mの最初のM800緑縞で十分満足していたからでもあります。
ただし、ここでも心のトリックがひとつ。
「持っていないもののことは、知らない。知らないと、それが無いことのつらさはわからない。」というものです。
今はもう離れがたいBニブポイントの使い心地、便箋の上に遺されていく文字の色と姿を、持つ前には知らないので、それが“無い”ことの辛さがわからないのです。仕事が忙しいというのも、煩悩から逃れるにはとても良い事でした。
他方、皮肉なことに、「知らないことは、なんとしても知りたい。持ってないから欲しい。」という思いも強くなることがあります。”自分が入会したい倶楽部は、自分が入れない倶楽部だ。”というフレーズのように。欲求は、時間をおくとますます膨らむことがあります。
で、解決方法は?
とにかく早く手に入れること。
夢は大きく。その方が見失わないから。でも目標は、頑張れば達成できるものを段階的に。
簡単な計算で、ひと月5,000円の予算管理で年に1本、ひと月1万円セーブできれば1年で2本。それが「一生物」になる。10年前にはまだ、「一生物」の感覚は弱かったのですが、それなりに、その時点で手にいれるペリカン・スーベレーンは、自分に関しては買い換える必要がないものだということがわかってきて。
それらに気がついた時、ちょうどプロジェクトの終わる時期が見えた頃と同じでした。最後が伸びることは無かったのです。許されなかったから。さらに、その時点で「フルハルター」で調整をお願いすると、手に入るのはちょうどそのプロジェクトでお世話になった方々へお礼状を書くのに間に合いそうだとも気づいたのでした。
つまりは、心に少し余裕ができたのでしょうね。
将来の出費をセーブすることにして「フルハルター」へ急行しました。そしてペン先B仕上がりのペリカンスーベレーンM805青縞をお願いしました。
なぜか、「エーデルシュタイン・タンザナイトで」と言えなかった
手書きで書きたい、あるいは手書きで書くべき手紙のための、縦書き便箋専用になるそのBニブ相当で仕上がりのM805青縞はペリカン社のインク、エーデルシュタイン・タンザナイトで使えたらいいなと考えていました。今回はインクのことは森山さんにお伝えしてませんでした。なぜだろう?調整していただいた際には、4001ブルーブラックにするか、あるいはタンザナイトにするか(できるか)迷っていたからかもしれません。その便箋、封筒はインクの吸収がすこしあるので、インクフローがやや多くないとペン先が滑らないのです。ちなみに、以前に友人から貰ったガラスペンにタンザナイトをつけて便箋に試し書きをして、裏抜けしないことは確認していました。それに、たっぷりめにインクフローだと裏抜けなしで滑らかに書けるのですが、逆に、インクフローが弱いと、漢字の”払い”に相当する字画部分で掠れが多くなることを、ペリカンのブルーブラックをMニブで書いて知っていました。
Bのニブポイント、そこへはじめてのインクで使うという、未知の要素がいくつかあったので、むしろ森山さんに積極的にその旨をお伝えして相談すればよかったのに。
なぜだろう。「家で試してみたいと思っています。」と言ってしまった自分の心の持ち方が、今もよくわかりません。分析して、納得できる答えがあると、この年齢からでも役に立ちそうに思うのですが。特に家族や、仕事で接する若い人たちとの会話で。
ペンの様子、コンディションとインク、紙、自分の書く癖、それらの組み合わせで、求めている自分にとっての「心地よさ」が決まることが、ようやくわかってきた頃でした。
三週間ほどで出来上がって、自宅でタンザナイトを入れて便箋に書いてみると、これがドンピシャ。ぴったり!
大変運良く、ちょうど良い、比較的多めのインクフローがあって、僕が好んで使っているそその縦書きの便箋と封筒にぴったり馴染む出来上がりでした。とてもほっとしたことと、良い相棒ができてとても嬉しかったことを思い出します。
それ以来、手書きで手紙を出す機会には、必ずそのBニブのM805で書いています。やや残念なのは、お詫びの手紙がおよそ半数近く、そして近頃はお悔やみの手紙が増えてきているのですが。自分の年齢が相対的に高くなってきていること、そして組織の中で、そういう立場になってきたためでしょう。いやが応でも自覚させられます。
文字の要諦は、紙とインク?
先のブログでインクについてのことを、「いずれ」と書きました。「いずれ」が、どれくらい先のことになるか、自分のなかで消化できて書けるものなのか、今はわかりません。しかし、万年筆やペンの役割が、インクを紙に乗せることと極言するならば、文字の要諦は紙とインクなのでしょう。
ブログや、所属する万年筆の倶楽部の会誌でのお話を聞いたり読んだりして学んでいくと、インクの話はペンや万年筆の話と同じか、あるいはそれよりずっと深く、広く、果てしないように思えてきます。ご自分で調整したりという話になると、もうそれは、とても外側の世界の話のような。ですので、インクは僕の誓いと自戒において、決して深入りしない領域としています。それでも、自分の使うインクについては多少とも興味があり、探しているとインターネットのブログ
『趣味と物欲/エーデルシュタインのタンザナイトは古典BBではないと聞いていたけれど一応調べてみた。(2013-04-17)』をみつけました。
https://pgary.hatenablog.com/entry/20130417/p1
ペリカン社の青系のインク3種(4001 Royal Blue, 4001 Blue Black, Edelstein Tanzanite)の分析が記されています。クロマトグラフで成分を解析したもので、その手法、考察に深い感銘をうけます。インクについての奥行きについて、一端を知ることができます。
この分野、本当に奥深く、さらにそれを追う人のすごいこと。
閑話休題
僕の好きなペリカン万年筆の製作工程の動画がありましたので、ご紹介いたします。東京銀座の伊東屋オンラインストアがスポンサーのようです。
『Pelikan芸術的な万年筆製造』
ドイツ語と英語の綴りの違いがあります。ドイツ語は名詞の頭を大文字で表記すること、よく似たスペリングですが「ペリカン」の英語の綴りはpelicanです。
https://www.youtube.com/watch?v=3cDWQia5198
日本の万年筆メーカーの社屋の様子から想像できたことではありますが、ドイツ系のペリカン万年筆の製造は多くが人手によってなされていることが知れます。僕のM800達は、この動画と同じようにその工場で作られ、運ばれて日本に来て、「フルハルター」あるいは「金ペン堂」で調整を経て僕の元にあるのだということを実感します。
とても綺麗な作業と作品です。名人が担当する部分、“その日”、“その時”を感じます。手作業ということは、そういうことですね。”ばらつき”もありうると。
これらの“ばらつき”が、特別の関心や能力をもたなり普通の人にわかる範囲ならば、それは品質管理の上で問題がある範疇でしょうし、わからない程度に小さいならば、作り手の腕前は特殊工芸品レベルでしょう。ペリカン・スーベレーンを求める人たちは、製品への要求、良し悪しの判断が完成の領域で反映していると思います。
「万年筆の意味」について、再び
こういった類の製品の使用経験と、感覚に基づいた反応。それを反映して完成品として出荷しなくてはいけない製品は、どういったステータス、特徴を持つものなのでしょう。
さらにそれが使い手によって変化して馴染んでいくような道具とは、どんなものなのでしょう。
今、話している万年筆。
他の例は?
例えば、機械式腕時計? 調整や馴染みの範囲が狭く、「使う」という点では誰でも同じで、万年筆の位置とは違う感じがします。
鞄? これも、腕時計と同じような位置かと。選ぶ趣味、TPOについての選択眼には敬意が払われて、使っていくうちに自分になじんでくるというものもありそうではありますが。
車? 違うでしょうね。毎日運転して、路面の状態によるステアリングホイールの切込みと車体の反応に慣れていったり、クラッチやブレーキのあたりをつくっていったりするのは、今の僕の万年筆への思いと似ている感じはあるけれど。自分でワンオフ部品をオーダーして調整するような付き合い方だと、もっと違う感想をもつかもしれません。でも、僕が若い頃に経験した地方勤務の際に自家用車通勤をしていた頃を思い出しても、ちょっと違う感覚をもっています。その車は、会社許可リストにある燃費の良い車種の一つで、運転の面白みとは対極にある車でしたが、毎日、それを運転して通勤しなくてはいけなかった。故障の心配はほぼありませんでしたが、切り返しでばたつくサスペンションの反応がいちいち嫌だった記憶がまだ残っていて。あの頃、ポルシェやロータスをセカンドカーに持っていた生活ならば違う考えを書いていたかもしれないのですが。
そうか、靴かな。ある程度のレベルの革靴は、手入れさえきちんと気を使えば、10年以上簡単に仕えてくれる、足によく合った(あるいは、将来きっと合ってくるように作られた)グッドイヤーウェルト製法の革靴は、万年筆との付き合い方や感覚と同じような”製品”の位置かもしれません。
だめだ、物への気持ちが放散していって抑えられません。
次は、「予定上」最後となる6本目のこと、また世界の万年筆メーカーのことなど。