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万年筆

万年筆のこと(3) 僕には何本必要か?

万年筆の理由 そして僕には何本必要か

ペリカンスーベレーンM800、価格は時期にもよりますが50,000円から55,000円+消費税。その後58,000円になり、2021年10月からは60,000円+消費税。価値あるものの健全な価格上昇でしょう。

今日の生活では必需品とは言えないこの値段の万年筆を何本も持つようなことは、贅沢な「男の夢」の部類です。

そういえば、自分用に調節された万年筆を持つことの「思いつく限りの理由(僕のブログ 万年筆(1)の中の一部)」のひとつに、いつかどこかで読み知った知識がありました。

まず、万年筆が必要な理由について。

美しい筆記体のために

子供の頃、何かのエッセーで読み、また最近ではフランスで子育している方の印象深いブログの中に次のようなものがありました。“フランスでは子供が字を学びはじめた時、筆記体を万年筆で書く”、そしてまた、“美しい筆記体は知性の表れ”と。僕が「ちょっと好き」だった女性の先生への想い出ともくっついて、「個性がある丁寧な字は素敵だ。美しい筆記体もいいよね。」と、僕は傾きやすく。

で、

フランスでは小学一年生で万年筆!

ならば、エレガンスは万年筆が支えているに違いない!

我ながら、万年筆を揃えるのにかなりいい理由を思いついたと感心しました。

一方、最近、直接間接に聞くところによると、日本の中学?高校?での英語の授業(ある地域?あるいはある特定の学校?あるいはある先生? 限定かもしれないのですが、驚いたので)では、提出するレポートや試験では筆記体不可と。理由はわかりませんが、「読みにくい」というのが理由とか?

幾人かの若い(20代?)、アメリカでおよそ全ての学校教育(大学、大学院は誰もが知る有名校)をうけたアメリカ人からも、「(少なくとも彼らの友人のほとんどは)筆記体は使わない」と聞いたこともあり、軽い驚きを覚えた直後でもありました。まあ、今日のコンピュータ時代、字を手で書くことはますます少なくなるでしょうし、PCやスマホでの入力ならスペリングの間違いもぐっと少なくなるでしょうが .. .. .. .. 。

しかしなあ。

改めて、筆記具で字を書く機会がとても少なくなっていることを認識させられます。

アルファベットを筆記体で書くには万年筆がよく合っているのだろうと思います。そのために発明され、改良されてきた筆記具でもあるし。

あるフランス人のものだったと記憶している話に、“美しい文字(この場合、アルファベットの筆記体)は、上へ細く、下へ太く”、というものがあります。”美しい文字の概念”が先なのか、あるいはペン先の構造からくる”(多く)書かれた結果”が先行した概念形成の結果なのか。万年筆誕生より前から、筆記体もゴシック体もペンで書かれていたので、長い“ペン”の歴史と美のセンスの融合が、美しい筆記文字を完成させたのは確かだと思うのですが。

いずれにしても運筆(運ペンなのだろうけれど)を考える時、“ペン”の構造に逆らわずに使うと、上への線は細くなり、下への線は太くなるのは、自然なこととわかります。さらに運用の速さや力の具合で、線の細さ、太さを強調することも簡単にできます。

この太さを違える表現はボールペンや鉛筆ではでは難しいですね。

実は、万年筆で自然と線の太さが変わるようになったら、ボールペンでも鉛筆でも、心持ち太さを変えて書くことはできるようになりました。鉛筆ならば4Bより柔らかいもの、ボールペンではボールが大きい太字のものが運筆しやすいです。しかし、鉛筆では文字が大きくなり、ボールペンでは一文字毎に長い時間を要します。また、ボールポイントの種類とインクの種類のコンビの要素が大と思います。残念ながら今の僕の能力ではいずれも、愉快に「いいな」と思う字を書くことができません。今の僕には、自分が気に入っている紙に文字を書くのに、僕の字のために調整された万年筆より心地良いものがありません。

万年筆で日本語を書くこと

で、字を書くには万年筆が重要なことはわかりました。

詭弁?

そうそう、この話はアルファベットをキレイに書くために、万年筆が必要な理由です。

では日本語を書くのはどうでしょう?毛筆に墨をふくませて書くのが最高なのでしょうが、さすがに日頃の仕事でそれは、、、、。

毛筆を使うことは、書きたくなった時、家に一人で居る時間がある程度予測できる休日の昼、良い香りのする墨をお気に入りの硯ですっている時など、特別に幸せな心地にしてくれますが(文字の出来については満足いかず、がっかりするとしても)、この条件に合う機会は年に数回。この話は、またどこかで。

さて、想像なのですが、日本語を心地よく書くためのペン先は、アルファベットを書くためのペン先と同じ形状では無いのかもしれないと。アルファベット、漢字、ひらかな、カタカナ、数字、記号、あるいは絵の線。それぞれに適した設計、調整が望ましいのだろうと思うのです。あるいは、よく調整されたペン先は万能なのか、、、、。

頂き物にせよ、自分で選んで購入した物にせよ、縁があって手にすることになった一本が、自分にとって”心地よいもの”になるまでの時間は必要なのでしょう。自分がその万年筆に慣れる時間と、万年筆が自分のために変わってくれる時間。

つまり、そのペンの癖に合わせて自分の書き方をそわせていく要素、そしてペン先が擦れて書き手の癖に合った接紙角度になり、滑らかになってくる要素と、そしてその万年筆以外を知らないためにそれが”いい”と思いう慣れの要素。それらが合わさり、自分にとっての「いい」万年筆として愛着を持ち、さらに長く付き合うことになるのではないでしょうか。

自分にあった、「道具」としての万年筆

僕は、フルハルターで調整してもらったものが(真剣に、自分の字を意識して使った万年筆としては)最初の一本であったという幸運によって、無調整のペンと心地良く寄り添えるようになるまでにどれくらい時間がかかるのかわかりません。さらに、それが望ましい寄り添いなのかどうかを判断する自信もありません。

道具を使う武道や芸道では、「初心者ほど良い道具を使え」というアドバイスがあります。道具の良し悪しがわからない初心者は、道具についての十分な判断もできず、誰が使ってもよろしく無いもの(しばしば廉価版)や、あるいは特定の人に最良でも自分には合っていない道具を使って、初心者ゆえの真面目さで真剣に繰り返し、力を入れて稽古をしてしまいます。すると、その道具に合わせて体の動かし方や技の癖がついてしまい、将来、より高い段階へ進む際にはその癖を直すところからはじめなくてはならず、大変に苦労をするという意味と理解しています。逆に、その時のその人に合った道具を使うと、稽古もよくなり、進歩もはやく、先も高くなると。

人生の短さを噛みしめるこの頃、自分にとってのベストフィットの万年筆を経験豊かな専門家の方に調整してもらえるならば、さらにそれが今後も「自分にとってのベストフィット」とわからせてくれる師匠となるような一本が望めるならば、きっとそれを求めて、これから心地良い書く時間をできるだけ長く楽しむと決めたのです。

支払えること、さらには出会える事が特別の贅沢と十分承知して。(追加のこのコメントを書いている今は、COVID-19による行動規制、制限の中。出会えることの貴重さをかみしめています)

森山さんが、「日頃のペンの持ち方や書き方を尋ねると、お客さんはみなさん『普通です』とおっしゃるが、『普通』の人はみたことがない」という意味のことをおっしゃった記憶があります。僕のまだ少なく短い万年筆との付き合いの中でさえも、ある時の自分にとっての「いい万年筆」が、メーカーやモデルは無論、用途(細字を要する横書メモ帳か、太字で書きたい縦書の便箋か、誰に何を書く時かなども)、インク、果てはその日の気分や体調によっても(さらにおそらく気温や湿度も関係しているだろう)、調子がいい万年筆が違うと実感しています。

万年筆の無い暮らしには戻れないと了解したあとは、いかに気持ち良く暮らしていくかが重要な課題となりました。

欲しいからといって、いくらでも手に入れられはしないという現実と(実は、使えるお金がいくらあっても、調整してもらえるかどうかは、縁でもあり)、いくらでも手に入れられるとなるとすぐに興味を失うという自分の性格も、よくわかる歳になったことも自覚して。

「インクは3種類で」

大人になって良かったと思うのは、すでにもう何十年間、いくつかの紙を使ってきた結果、好みの紙が決まって、今後もそれを使うことを決めていることです。自分が好きかどうかがわかるようになったというか。今は、インクの優先順位が紙より上なのです。

何かの良さについて考察する際には、変数は少ない方がいいですから。

すでにM800、ペン先M、ペリカンのインクBlue BlackとRoyal Blueの組み合わせで、プライベートで使う紙や職場の書類との相性には問題がないことは確認していました。あとは他のペン先の太さとインクの組み合わせが思案所となります。インクはよほどのことが無い限り、最初に入れたものを使い続けるという方針は守って。

インク選びは万年筆選びよりずっと数が多くなります。自分でインクを調整するような記事もたくさんあり、僕には奥深すぎると認識したので、意識して遠ざかることにしました。なにせ、「最初に入れたインクを使い続ける」方針を固守することにしたので。

その時使っていたBlue BlackとRoyal Blueに十分満足していましたが、少し濃い紺色、やや黒に寄ったものが欲しくて、ペリカンのエーデルシュタイン・タンザナイトを選択に加えました。大事な手紙を書く時の便箋と色合い、紙への「のり」の相性がとても気に入ったので。ただし、タンザナイトで書くと僕の愛用の日記の紙では裏に豪快に沁み出してくることがわかったので、使う紙スタッフが限定されます。なので、組み合わせのペン先は手紙だけに使うためにBで。

「僕の万年筆」を決める要素

書き出すと、

―状況:  手紙、日記、自分へのメモ、職場での署名

―紙:     便箋と封筒、日記とメモノート、職場の書類紙

―インク:3種(好みと用途、紙との相性)

この条件で万年筆の本数を規定する最初の因子はインクの種類になります。

次に、ペン先の太さで、手紙用にはB。ただし、封筒の裏に自分の住所を書くには細めのFが良いこと。Fならば一番細い罫のメモ帳でも、多画の漢字を書けることもわかりました。

用途 – インク – ペン先 – 使う場所 → 必要な万年筆の本数

手紙 – タンザナイト – BとF – 自宅と職場 → 4本

日記 – Blue Black – M – 自宅 → 1本

メモ – Blue Black- MとF – 職場 → 2本

メモ – Royal Blue – MとF – 自宅 → 2本

なんと、10本!

これは大変。

インクの種類とペン先の太さは譲れないので、なんとか工夫して自宅と職場の兼用を考えると、

手紙 – タンザナイト –  BとF → 2本

日記とメモ – Blue Black – MとF → 2本

メモ – Royal Blue – MとF → 2本

で、最低6本必要なことがわかりました。6本でも大変です。しかし、「もうすでに2本は手元にある。あと4本の楽しみ!」と、頑張って言い換えて。って、あと4本は、遠い! 今の三倍。

ここで僕の悪い性格が。

必要とわかると、真剣にそれを手に入れる計画を集中してたてはじめてしまいます。

「どうか計画している間に飽きますように、、、」と、堅実なもう一人の自分が祈ることも時々。

長期戦でいきましょう。まずは手元の2本をしっかり使っていこう。

「金ペン堂」?

そんなある日、例によって深夜に万年筆に関する情報や噂をインターネットで探して読んでいるうちに(ネットサーフィンって、今、通じる言葉でしょうか。恥かしくて聞けないですが)、しばしば神田神保町の「金ペン堂」に関するものが見つかるようになりました。

さらに意識して「金ペン堂」関連の記事を探していくと、有名な作家の方々が古くから頼りにされていたり、店主が一本一本、ペン先を調整して組み直してから店に出していると。さらに、それらをその場で購入して帰ることができると、ペリカンスーベレーンも多く揃っていると。

「これは、、、、、。」

次の週、運良く仕事の出先が神田方面で、閉店まで1時間くらいお店で過ごせそうな予定がありました。

次回、「金ペン堂」でのことを。