片岡義男さんの本 『万年筆インク紙』(2016年発行)
「僕はまさにこれを書きたかった!」だから紹介します
万年筆についての自分の思いを書き残しておきたくて、ブログを作って書き連ねたのですが、(8)から(9)の間、半年以上の時間があきました。仕事と私生活の両方で忙しいことが発生して、書くこと、というより他のことを考えたり心を遣ったりする余裕が無くなったこと、そして最初の頃に書いたブログを読み直してみて、書き間違いをいくつも見つけたり、言いたいことがちっとも書けていないことを認識して、「こんなはずじゃない、いやこんなもんか。それにしても何と下手な文章だ!」と憤慨しつつ、残念さや恥ずかしい気持ちで、時をおきながら何度か修正をしていました。しかし、主たる空白の理由は、僕がこのブログの中で書きたかった万年筆についてのこと、インクと紙との相性についての自分の感じやそれを確かめる実験的作業と、その考察の過程や将来の計画を、圧倒的に高い、全く違う次元で、片岡義男さんがすでに書いて出版していたのを見つけたことです。「金ペン堂」を訪ねるきっかけになったのも、「片岡義男」と「万年筆」をキーワードにネットの上をしばらく検索していって行きついたのがきっかけでした。
片岡義男さんは、僕が学生の頃に大きな影響を受けた作家なのです。都会での暮らしの複雑さと、アメリカのかおりに魅了されて。そのような人はたくさんいる事を知っていますが、僕の理解と心酔は随分深いと自負をもっちながら。
その片岡義男さんが万年筆、インク、紙について、僕が知りたかったこと、専門家に文字でクリアに示してもらいたかったことが、期待以上の高密度に(片岡さんの文章を想像できる人は、あの独特な「緻密な描写」がちりばめられたものと言うとわかりやすいでしょうか)出版してくれていたことを見出して、もう、僕には、「これに加えて書くことがない、これを読めばそれでいい」と、思ったからです。
2016年11月20日初版、晶文社発行の『万年筆インク紙』(本編全286ページ)です。文字を万年筆で書くことへの深い観察と、原稿用紙に文字を書きつけていくことについてのとてつもない練度。その後、作家としての目的のために万年筆で原稿を書くことから、ワードプロセッサで文章を残すことに移行してしばらく。そして2016年のこの本の発売から数年前に再度、万年筆を使って文章を書いてみようと思い立って、だから、好みの万年筆、インク、紙をみつけていく過程の精緻な観察と実験の描写が、僕にとっては懐かしく、しかし今の僕にとっては大部分は意外な書き様で、みっしりと書き連ねられているものです。片岡義男さんの文章を読んだことの有る無しかかわらず、または得手不得手にかかわらず、今(あるいは過去にでも)、実際に万年筆を使っている方で万年筆が好きな方には読んでほしい一冊です。
と、ここまで書いて、自分がその本、『万年筆インク紙』をAmzon.comで中古品として通販購入したことに気がつきました。程度は「ほぼ新品」というものでした。確かに届いた本は、誰かが読んだような跡はなく、ページを開いたような形跡もありません。2016年発売でまだ3年たっていないのですが、今や発売から3年たった本はすでに書店で新品として購入することはできなくなっているのですね。ひょっとして、3年という期間だと、新刊本については昔からそうだったのかもしれないけれど。ネット通販の拡大で既存の書店が立ち行かなくなる様子が知らされていますが、書店の購入でも通販での購入でも、必ず中身が同じ物であることが確かな「本」については、注文したら数日内、運が良いとその日に届くネット通販はとてつも強力です。それはひょっとしたら、程度の確認に目をつぶれるなら、中古品の方がそうなのかもしれない。
オリジナルの値段は1800円。カバーも本体も、当たり前ですが、「紙」。その紙の色や風合いは、「専門家が使う原稿用紙はこんな様子か?」と想像させてくれるものです。僕は好きだなあ。ネットで読む文章と違う最大の、僕にとっての本の良い点を味わえました。
さて、この本『万年筆インク紙』。片岡義男さんのことについて、全く知らない人は、出だしの数ページを「この人は、いったいどんな人なんだろう?」と訝しく思いながら読むだろうか?訝しさが興味にかわって、ひきこまれたら嬉しいなあ。ずいぶん長い期間、片岡さんの新しい文を読んでいなかったことにも気づきました。この前に買って読んだ本は、『英語で言うはこういうこと』(角川Oneテーマ21)の初版を、発売直後の2003年1月に読んだのが最後だったかもしれません。そんな低調な購入、読書の姿では、片岡義男さんのファンなどと言うのは恥ずかしいので、これも偶然みつけた「片岡義男.com」という、片岡義男の全作品をwebの上で公開し保存する企画のサポータに登録しました。
https://kataokayoshio.com
エッセーや書籍のいくつかを読むと、人生の一時期に片岡義男に触れた方はきっと再び、そしてそうでない方もおそらく、自分が使っている日本語と英語について、違う視点をもって考えるきっかけになると僕は思っています。
さて、それでもファンの一人を自認したい僕は、『万年筆インク紙』を、「ああ、まさに、あの片岡義男さんが、自分のお父さんとの関係を筆記具の面から書き始めたのだ。」と懐かしく読みはじめました。とにかく、1ページごとに、まったく、1ページごとに、あるいは1行ごとに、僕にとっては「その通り、もっともだ!」とうなづく事が、僕にとって馴染みのある文章で、緻密に、これでもかと丁寧に記されているので、どうにも止まらずに一気に読み切ってしまいました。もう少しゆっくり読めばよかったと後悔しながら、読み終わってすぐまたもう一度読んで。特に気になったところにポストイットを貼って抜き書きしたりしながら、「早くだれかに紹介したい」と思いながら読みました。まさかここでそれを一つひとつ書き出していくのはダメでしょうね。でも、誰かに読んでもらいたい気持ちから、本の紹介というつもりで少しだけ。
片岡さんが作家になることを決心し、そのあとすぐに、作家を職業にすることから当時は自然に発生する大量の文字を速く書くこと、が求められるようになって、力を入れずに書ける「道具」としてモンブラン22を使いはじめたというくだり。いいなと思う字を書いていたお仲間が使っていた筆記具がモンブラン22という名前の万年筆だった、と言い換えられるかもしれない書き方で。そしてそのお仲間に教えてもらい、さらにはそのモンブラン22を借りて書いた原稿を持って神保町の「金ペン堂」を訪ね、当時の店主である古谷健二さんがその字をみて、ぴったりのモンブラン22をショーケースから出してきて片岡さんに渡し、インクはパーカーのウオッシャブル・ブルーがいいと勧められたと。その後の執筆活動の中で、片岡さんはモンブラン22を30本ほど買ったと記してます。10年間、モンブラン22とウオッシャブル・ブルーの組み合わせが自宅で使う万年筆のメインだったと思われる記載で、単純に計算すると年に3本、ペン先が平らになってしまう量を書き、それが10年続いたと。自然に書かれているが、それはいったいどれくらいの文字数なのだろう。200字詰原稿用紙300枚でペン先が平らになってしまうとも書かれているが、それは間違いだろうと思う。単位が違うのかもしれない。
完全な道具としての万年筆。ちなみに、書くための道具が必要だった頃から作家を職業とする片岡義男さんは、その後、ワードプロセッサーが実用的な道具になるとすぐにワードプロセッサーで文章を作ることになります。今は全ての作家の方がワープロで執筆をされているそうで、『万年筆インク紙』の中では、今、編集者にとって一番困るのは手書きの原稿だと書いてありました。他の作家の方も同じ事を書いているのを読んでいたので、文章を商売にしている人は、商売では文字は書かないのだと認識したのはショックでしたが。万年筆で商売のための文字を書いている姿を写真で今見るは、伊集院静さんくらいでしょうか。そういえば伊集院静さんの『文字に美はありや。』は興味深く読みました。
次に僕が嬉しかった部分は、アルファベットを書くことを前提に作られた万年筆と、日本語を書くことに作られた万年筆は、書くということについての調整が違うということを、英語を母国語の一つとして筆記体で書く背景をもつ片岡義男さんが確信を持って書いていたことです。僕が万年筆を日常的に使うようになってから、ペン先の動きについて時々感じていた違和感、あるいは違う、何かの感覚について、抱いていた漠然とした疑問をスコーんと解決してくれた一節です。片岡義雄さんがの万年筆で日本語の小説を書いてみようという試み(若い編集者を困らせてみようという試みだろうか?)から、今また、自分に心地よい万年筆をみつけようという作業なので、片岡義男さんの万年筆の選択は日本製の万年筆にしぼられていくことになります。それが本当は自然なのだろうと思うのです。しかし僕は、ペリカンの万年筆に最高に満足しているのです。ただしその気持ちは「フルハルター」か「金ペン堂」で調整されたものしか使ったことが無いという、特別の環境下での話なのですが。
今持っている数本のペリカンスーベレーンM800は、その耐久性を思うと、自分の残りの人生で、書くということを十分カバーできると思えのです。この思いについては、「人生は短い」事に感謝して。もちろん、「その程度の文字数しか、自分はもう書き残さないのだ」と理解するのは寂しいのですが。