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万年筆

万年筆のこと(5) 万年筆の意味?

万年筆のこと(5)  万年筆、の意味

スーベレーンM800 6本への道

前回、はじめて「金ペン堂」を訪れて、ペリカンスーベレーンのM800ボルドーを衝動買いしたことを書きました。冷静にも、ペン先は細かい字を書くためにFでお願いしました。注意力を失っているところでも潜在意識は侮れません。

お店では試し書きをしたと思うのですが、どんな字を書いたかとか、どんな書き味だったかは、はっきり覚えていません。そのまま購入した以上、違和感がなかったのだと思います。

その後も書き味、インクフローも全く気になる点がありません。調子いいのです。インクとの相性も良く、今日まで変わらずに気持ちよく書けています。

さて、お支払いをしている間、先代の奥様と思しき方から「使いかけのインクは、インクボトルの中に戻さないように。」という注意をもらいました。

劣化したインクがボトルに戻るとだめなんだろうなと、単純に考えました。たしかに、M800のシリンジ内のインクの残量はよくわからない(わかりずらい?)ので、ちょっともったいないなという思いに加えて、インクボトルの上でシリンジを操作すると自然な動きでペンの中のインクをボトルに戻してしまうので、これからはボトルに戻さないように注意しようと思いました。

つまり、それまでは実際、ボトルにインクを戻していたのです。

さて、衝動買いの後の数ヶ月間は小遣いのやりくりに苦労するのですが、そんな小さな苦労などは、後悔になることは一切なく、十分に万年筆ライフを楽しみ、それは今も変わりません。生涯にわたる楽しみを得られた嬉しさが大きいです。

さらに僕の当面の目標は6本なので、あと3本必要です。なぜ6本なのか。それは、このブログの『万年筆のこと(3)』に書いたのですが、用途とインクから、

手紙- タンザナイト-  BとF → 2本

日記とメモ- Blue Black – MとF → 2本

メモ- Royal Blue – MとF → 2本

という考察です。“考察です”って、、、、。まあ、そういうもんでしょう。

「フルハルター」で調整してもらった僕の大切な最初の1本を壊してしまった経験から学び、職場と自宅の往復には、ペリカン製3本用の柔らかいペンケースに入れて、縦位置のまま運ぶことにしました。

通勤時の鞄はバリスティックナイロン生地のTUMIショルダーバッグです。中にパソコン用のハンモック構造があり、カバンを硬い床に落としてもパソコンを傷める心配が少ないものでした。しかし、外から押されたらその圧力はそのまま中にかかってくるショルダーバッグなのです。それで、満員電車の中でも万が一にも万年筆には圧力がかからないように、ポリカーボン製の小物入れにペンケースを入れて、それを鞄の中に縦位置に固定して通勤していました。ポリカーボン製の小物入れは適度な弾力もあって満足な解決方法でした。

さて、「フルハルター」でお願いした2本は、両方ともペン先M。「金ペン堂」のボルドーはF。手紙用のペン先Bは、次にフルハルターでお願いしようと思っていたので、あとはFを2本。すでに「金ペン堂」でFを一本いただいているので、1本は「フルハルター」でお願いしたい。

ああ、悩みは尽きない。欲しいペンも、資金も。

万年筆、の意味

いきなりですが、万年筆についてなぜこれほどたくさんの、しかも深く熱い思いが込められたブログが作られているのか、愛好者のグループも結成されているのか、わかるようにも思えるのですが、しかし、不思議です。

”わかる”部分として、僕自身も恋い焦がれて、幸運にも手に入れられて、幸せな万年筆ライフを送れていることに感謝しつつ、このように一方的に熱くなってブログを書いています。

でも、このブログを作って書く作業、これは皮肉ですね。万年筆で書くのが好きなはずなのに、そして毎日、仕事でたくさんキーボード入力をしているにもかかわらず、万年筆のことをブログに書きたくて、プライベートの時間でもキーボードをたたいています。

なぜでしょう?

“ブログは万年筆で書いてアップはできないから” とか、”活字にしてくれる人はいないので”、などと子供が大人に回答したら、なぞなぞの場面以外では叱られます。

こういう嗜好への熱量は、他の筆記具には見られないように思えますし、他の物に該当するものがよく浮かびません。

時計? 車? 靴? 鞄?

どれも少し違うような感じを持ちます。どういう要素が僕にそう思わせるのか、あまりにもよくわからないので、当面、探し続けてみようと思っています。可能ならば、万年筆以外のものにも触れながら。

“万年筆の意味”は、それはきっと、万年筆は単なる筆記具を超えた特殊な存在ということなのでしょう。

知的作業(絵を描くための道具として使う専門家がいらっしゃるとのことですが、それは特別な例として)の代名詞である、“紙に文字を書くこと、そして文章にすること”、その目的を果たすことができる道具として十分な機能。考えられる限界のシンプルさで、その機能を筆記具として成立させ、そして書くという作業自体に心地良さを生み出すこと。

ただ一つの目的を完全に果たすために作られた道具。

無駄な装備をもたないことで表現される美しさ。

僕が感じていることを十分に伝えられる文字の選択には、全く、遠く及んでいないことが自分でよくわかります。考え続けることにします。

それぞれの意味

さて、僕が所属させてもらっている万年筆愛好家グループの中で見聞きすること、あるいはインターネットで他の愛好家の方々のブログや記事を読ませていただくと、何十本、何百本の万年筆を実際に使っておられる方をしばしば目にします。驚愕です。

未使用品を収集する方、さすがに多く持ち過ぎて使いきれないが、眺めて楽しんでいる方など、いろんな所有の姿があることを知りました。確かに、気に入った万年筆は眺めているだけで美しい。芸術品と考えるべきもの(蒔絵装飾で価格1000万円以上のものも)、あるいは貴金属や宝石を使った高価なもの、発売数量限定や記念発売品がコレクター品となって数百万円を越すような高価なものもあり、万年筆は筆記具の中でも特別の存在であることが容易に観察されます。

万年筆の機能に集中すると、毛細管現象によってインクを伝え流す構造上、使い続けることが大事なことがわかります。あるメーカーの説明では、最低2週間に1度はしっかりした量を使わなくてはいけないと、つまりはたくさん書き続けることと。エキゾチックGT系イタリア車の代表であるフェラーリの使用注意書に書かれてある事とそっくりです。機能することを目的とした「道具」は、本来そういうものだと納得できます。

だから、使わないならインクを入れない。使いはじめたら毎日使う。インクをいれても長期に使わない場合には、きちんと洗浄してから休ませることが大事なのでしょう。

僕の当時の、そして今にいたるまでの生活では、M800が6本あると、かなりスムーズで心地よい日々となり、そして僕にとっては相応の頻度と量を使うことができています。

次回は、「金ペン堂」での2本目のことなど。